長寿の里

更新日:2023年03月30日

長寿の沖縄県、その沖縄県の中で長寿の大宜味村、我々大宜味老人は自然の恵みにその糧を求める伝統的食文化の中で、長寿を全うし、人生を謳歌している。

石の土台に建てられた、自然な形をした長寿日本一宣言の石碑の写真

「長寿日本一」宣言

80(歳)はサラワラビ(童)90(歳)となって迎えに来たら、l00(歳)まで待てと追い返せ我らは老いてますます意気盛んなり、老いては子に甘えるな。
長寿を誇るなら我が村に来れ、自然の恵みと長寿の秘訣を授けよう。
我が大宜味村老人はここに長寿の村日本一を高々に宣言する。

平成5年4月23日大宜味村老人クラブ連合会

長寿の秘訣1

文化・伝統芸能

男性と女性が年配の2人の女性を囲み、腕を上げてガッツポーズをしている写真

木々の深い緑、燦々と降り注ぐ太陽。澄んだ空気と清らかな水。手つかずの大らかな自然に恵まれた大宜味村はまさに沖縄の桃源郷。気負わず、あせらず、ゆったりと…。この美しい環境の中で生き甲斐を感じながら暮らす「楽園時間」こそが長寿の最大の秘訣といえるのかもしれません。

長寿の秘訣2

大宜味村の食生活の特徴は?

大宜味村の食生活を特徴とした、豆腐や緑黄色野菜が使われたお弁当の写真

日本の伝統的食生活の長所は、(1)米が主食、(2)魚蛋白が多い、従って魚油の摂取が多い、(3)海草の摂取量が多い、(4)r大豆が多いことなどが挙げられます。
沖縄の食生活はどうでしょうか。大宜味村では、(1)秋田農村に比べ約3倍の肉類を摂取している、(2)緑黄色野菜の摂取量が3倍多い、(3)豆腐に代表される豆類の摂取が1.5倍多い、(4)果実類の摂取も多い。
さらに特筆すべき点は食塩の摂取量です。沖縄県は厚生省が目標としている一人1日10グラム以下を達成している唯一の県ですが、大宜味村は9グラム。ちなみに比較した秋田の一農村は14グラムに近い値でした。
東北地方は日本でも高血圧、脳卒中、胃ガンなどが多い地域ですが、これらの疾病と食塩摂取量は深い関係があることがわかっています。厚生省が減塩キャンペーンを続けている理由もそこにあります。幸いなことに、沖縄では温暖な気候の関係で一年中新鮮な野莱が採れ、漬物をとる習慣もあまりありません。また味噌汁も中に入れる具が多く、その分だけ汁は少なくて済む。今はやりの「食べる味噌汁」という宣伝広告がありますが、沖縄では味噌汁は具だくさんが普通です。このことも少ない塩分摂取量の一因となっているのでしょう。
また脳卒中ラットの実験や多くの疫学的調査から、動物性蛋白質の少ない地域ほど脳卒中の発生や死亡率が高く、逆に肉や魚などの動物性蛋白質の多い地域ほどそれが低いことが示されています。
動物性蛋白質に関しては沖縄といえば豚肉というほど、沖縄の食生活には豚肉は欠かせません。しかも沖縄では豚は頭の先から足の先まで無駄なく利用しています。
私たちの体の多くの組織は蛋白質でできており、豚肉は私たちに豊富な動物性蛋白質を供給しています。免疫のポイントを握る抗体もやはり蛋白質なのです。
大宜味では老人でも毎日50グラム近くの肉類を食べているのに対して秋田の農村は20グラムという少量でした。そこに大きな開きのあることがお判りでしょう。
豚は14世紀頃、中国との交易の過程で沖縄に持ち込まれ広く庶民にも利用されてきました。
仏教の影響で一千年もの間肉食を禁じられていた本土と沖縄とでは今なおその摂取量に20グラムほどの差がみられます。豚肉はまた牛肉や鶏肉に比ベ、コレステロールの含有量も少なく、ビタミンBlも豊富な優れた食材ですが、時間をかけて脂を除く調理の過程が先人の知恵として大変素晴らしいのです。食文化という場合はそこまで含めての理解がとても大切なのです。
かっては沖縄でもやはり豚は特別の日の食べ物で、庶民にとっては極めて貴重で高価な食べ物であり、正月用につぶした豚肉を塩漬けにして大事に利用していました。庶民の日常の食事はイモや野菜を中心とした質素なものでしたが、どの集落でもみんなで分け合って食べるという共食の文化が根付き、冠婚葬祭や村の行事等を通して肉、魚、豆腐などの蛋白質を摂取する機会に恵まれたのが村民の健康には大変幸いしたと思います。ちなみに今でもこの村では年中行事や祭が多く、行事食には豚肉や豆腐、野菜類、魚は頻繁に登場してきます。また豚肉以外にも家の新築や村の共同での労働の後など、みんなでヤギ(山羊)のナベを囲んだり、近くの海や川の魚介類も上手に利用して必要な蛋白源を確保するのに役立てていました。
このような食文化は伝統的に肉類の摂取が制限されていた本土の食生活より特徴的であり、この村の長寿の要因として大きな意味をもっていた確信しています。

長寿の秘訣3

すごい!高い社会活動性

年配の男性と女性がハチマキやゼッケンを付けて、運動場でリレー競争をしている写真

沖縄の温暖な気候は一年を通じて屋外での活動を可能にしています。現在大宜味村の総人口はおよそ3,500人ですが、90歳を越える長寿者が80人もいます。特にここで強調しておきたいことはこの村の老人は”生きている限り現役”という意識がすごく強いことです。高齢になっても体が動く限りは畑仕事をしたり、村の伝統産業の芭蕉布の糸紡ぎをしたりと何らかの活動一労働、運動、その他村の行事やボランティア活動など社会と関わりのある活動を続けています。
また喜如嘉集落はとくに伝統の芭蕉布の生産が盛んなところです。この村では多くの高齢者が芭蕉の糸紡ぎに精を出しています。喜如嘉芭蕉布の戦後の再興・発展に努められた芭蕉布保存会の代表者平良敏子先生の存在は極めて大きいものがあります。先生の指導で今、村では若い後継者が次々と育っていますが、芭蕉布の製作にはいくつもの作業過程があり、それぞれの体力に応じて芭蕉布づくりに関わることができるのは大変素晴らしいことだと思います。う積み(糸紡ぎ)は80歳、90歳の高齢者には打ってつけの作業だと思います。生前、110歳まで生きた喜如嘉集落のおばあさんは口癖のように言っていました。「自分からこの仕事を取ってしまえば何も残らない、これができなくなったら自分ももう終わりだ」と。この芭蕉布は村人たちの連帯感と生き甲斐、それに健康的な生活リズムの形成にも大きく関わっています。芭蕉布の着物、ハンドバッグ、ネクタイなど、これらの製品が出来上がるまでに多くの人々の手がかかっています。おばあさん達には自分の紡いだ糸がこれに使われているのだという満足感と喜びがあります。社会参加の大きな喜びです。この村では仕事も生き甲斐と感じている老人達が、それを日々の生活で実践しているといえましょう。

大宜味村では、高齢者の大半が一人暮らしか、または老人夫婦のみの世帯ですが、社会から孤立して寂しくひっそりと暮らしているということは決してありません。大宜味村の老人達は都市部に住んでいる子や孫達、隣近所の友人との交流が驚くほど広く、また深いものがあります。特に「一番頼りにし、心やすらぐ相手」として友人を挙げる者が多いのですが、このことが村人気質とも相まって老人達の生活適応性を高めており、健康にも良い結果をもたらしていることは間違いないと思います。

長寿の秘訣4

地域活動

女性と年配の男性が、畑で収穫したばかりの大根を持っている写真

今では少しずつ変わりつつあるとはいえ、村民の生活全般に「ゆいまーる」の精神が根強く息づいています。「ゆいまーる」とは、手短にいうと村人の労働力を互いに提供しあって協同的、相互扶助的に助け合う精神ということができますが、この言葉はサトウキビの刈取り、製糖、田植え、などの農作業だけでなく家の新築や墓工事、その他村の公共的な事業などへの奉仕作業なども含めて幅広く使われています。もっと簡単にいえば助け合いの精神ということですが、村中にまだこの精神が息づいているのです。
那覇や浦添など都市地域に出てきて生活している同郷人で組織する郷友会というのがありますが、大宜味村出身者でつくる郷友会組織、「一心会」は県内でとても早い時期に結成されているのですよ。
村人の強い結束力と活動エネルギーは、この郷友会「一心会」の活動とも相まって同村出身者の受賞、昇進、叙勲、出版等の祝賀会や奨学育英事業、冠婚葬祭、選挙運動等々、種々の社会活動の面でも今も多いに発揮されています。
また太平洋、沖縄戦の直後ですが、県内の他の市町村に先駆けて敢行した八重山移住や20を越える海外移住先での同村出身者の定着、活躍も大変著しいものがあります。
これらの県内外への移住の背景には村に資源が乏しかったことも理由の一つですが、「人材を以て資源となす」という村の古い教えにもみられるように、村人の多くが、自分の能力を引き出す可能性への挑戦をいとわなかったと考えるべきであり、このことはチャレンジ精神が旺盛というか、進取の気性に富む村民気質の一面を示しているといえます。
またこの村の思想的革新性も特色の一つとして長い伝統があります。村には今でも「ウンガミ(海神祭)」を始めとする多くの祭や伝統行事が継承されていますが、この村の革新性は、村の伝統文化を執拗に守り続けようとするしたたかさと共存しながら村の生活文化の中に合理的なものを次々と取り入れながら現在に至っているといえます。

長寿の秘訣5

大宜味村のお年寄りの健康像は?

2人の年配の女性が鮮やかな赤とオレンジ色の着物を着て、にこやかな表情をしている写真

大宜味村ではどこの集落でもゲートボールが大変盛んです。村内にいくつもあるゲートボール場が時間になると、どこからともなくスティックをもった老人達がいつの間にやら集まって来ます。そして夕暮れ時まで若者達顔負けの熱い戦いがそこで演じられるのです。
そのグループに80歳をはるかに過ぎたお年寄りたちの姿が多く見られるのもこの村の特徴でしょう。またカラオケに夢中になっている老人もいっぱいいます。
現地に行ってみると大変良くわかるのですが、東北地方の農村老人に比べて、大宜味の老人達は顔の表情、姿勢、動作の機敏さなど、はるかに若々しいのです。数年前でしたか、あれは旧暦の正月でしたが、東北は西会津町の町長の一行が大宜味滞在中に大兼久の御願所の手前で93、4歳の杖をついたおばあさんに出会いました。おばあさんは親戚一族のその年の健康を祈願するためにその拝所に来たのだそうですが、ついでにそこに居合わせた町長さん一行の健康、繁栄の祈願もしてくれました。その傍らでテレビ局の撮影班が静かにフイルムを回していましたが、おばあさんに一言「おばー今度テレビに出るからね」と告げました。するとどうでしょう。そのおばあさん日く「だったら少し待ちなさい、着替えて来るさー」と言うが早いか背を伸ばし杖を小脇にして駆け出して行ってしまいました。そうなんです。ことほど左様にこちらのおじいさん、おばあさん達は元気なのです。