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| 総人口 |
| 大正9年に第1回国勢調査が実施された時、本村の人口は8,780人であった。以後、大戦までは8千人台を推移したが、戦後の一時期には中南部地域から避難民の受け入れ、9千人を越す人口を擁することとなった。その後琉球政府の政策により、八重山や南米への移住が盛んになるとともに、続く高度経済成長期には都市部への激しい人口流出が起こった。本村の人口は急速な減少を示すようになり、昭和50年代の半ばからは3千人台で推移している。しかし近年では、農業の見直し、村内雇用の拡大などにより若者のUターンも見られるようになり、人口は安定傾向にある。
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| 産業別人口 |
| 戦後の急速な人口減少は、第一次産業の人口減により起こったものであった。昭和30年代に70%を超えていた第一次産業人口は、昭和50年代には30%台に落ち、その後はほぼ安定している。第二次・第三次産業は、第一次産業の落ち込みにより相対的に増加しており、建設を中心として第二次産業人口の増加が見られる。また近年では、サービス業を中心とした第三次産業人口の伸びが目立っている。 |
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