第1号 村指定文化財 大宜味村の猪垣(ヤマシシガキ)

 

1.〔種別〕      史跡

2.〔指定名称〕   大宜味村の猪垣(オオギミソンノヤマシシガキ)

3.〔所在地〕     大宜味村全域を囲むように喜如嘉〜津波まで  全長約31km

4.〔村指定区域〕  字押川六田原(前ホテルシャーベイ跡地付近)

                                             〜 根路銘棚原山林間(上原ハキンジョウ

5.〔村指定距離〕 約1.3km  (詳細地図)

6.〔猪垣の説明〕

 

 私達大宜味村の先祖は、杣山(現在村有地)と農耕地(畑)との

境界に猪垣を築き、畑地へのヤマシシの侵入を防ぎ、畑を守ってきた。

殊に猪垣に隣接する土地の所有者は代々自分の畑を守るためにも、

大宜味村全域の畑を守るためにも、自分の土地に接する猪垣を責任

を持ってその保全に努め、崩れたら直ぐに補修をして猪垣を維持し

てきた。

 

 

1776 年から 1782 年にかけて、塩屋、屋古前田、田湊・渡野喜屋・根路銘等

の住民が各むらの役人の指揮のもとに、猪垣の大々的な補修工事が行われ、

高さ七尺(約 2.3メートル)より四尺(約 1.3メートル)の石垣を完成した

ところであり農閑期や月夜に石を集めてつんだとも記録されている(『球

陽』尚穆王〔ショウボウオウ〕より)。そのため、1605年に野国総監が

沖縄に芋苗を持ってきて、作物として定着した頃、初めて猪垣が構築された

と思われる。

 その後も代々の私たちの先祖は、生きるために猪垣を維持し、戦後も村民

を最大動員して大宜味村全域を囲い込む猪垣の補修を行ってきた。戦後 60

年、今も村有地と個人有地の境界に、その猪垣が残っている。

 

 私達の先祖は何世代にもわたって、個人としても、むら全体としても猪垣

の保全に万全を期してきた。大宜味間切としては内法を定め、むら役人は猪

垣を巡回し、猪垣が壊れた箇所があればそこの猪垣管理者に修繕を命じ、次

に巡回したときになお修繕がなされていない者には科料米ニ升の拠出を命じ

たものであった。

 

 畑へのヤマシシの侵入は、主食であるイモやすべての作物を失うことにも

なり、農民の生存にかかわることだけに、猪垣をもってヤマシシの侵入を防

ぐことは農民の生きるための戦いでもあった。

 猪垣には私達村民の先祖の歴史が刻まれている。大宜味村全域を囲い込む

猪垣は「十里の長城」とも呼ばれ、構築から改修・保全と大宜味村に住んで

いた人々の長い歴史の証しである。私達村民の先祖の歴史を語ってくれる貴

重な文化遺産である。

 

 

                                                           

                                        イノシシを落とすために掘られた穴

 

トップページにもどる